怖いものから想定し、多いものから疑っていくという
姿勢は「診断」におけるセオリーです。では、「治療」
についてはどうでしょう?
ある程度診断が絞れたら、当然どう治すかが次の問題
です。医学書には疾患の詳細な記載があるし、各学会
でも治療法が定められています。けれど実はそれは正解
ではなかったりします。むしろ「こうすれば治癒に至る
可能性が高い」くらいに捉える方が良いでしょう。
学会のプロトコルを金科玉条の如く掲げるドクターも
散見されますが、プロトコル自体も見直されたりする
わけで、あまり頼り切らない方が賢明と思います。そう
すると治療について頼りになるものが無くなりそうで
不安ですが、例えばメジャーな高血圧症においても、
必ずしも正解がある訳ではないのが現実なんです。
ではどうするか?高血圧症と診断してとりあえず降圧剤
を処方することが正解?原因が分かるまで処方しない
のが正解?処方が患者さんの求めであるならば正解?
…ね?答え出なさそうでしょ?(笑)でも、こういう思考
を放棄することこそが大問題だと思うので、僕の正解は
「考え続ける」ことです。考え続けることで、その人に
合う「方針」は提示できます。
僕は論理的思考に拘りますが、それは対象となる人間に
不確定要素が多いからです。同じ事を言われてもその時
の気分次第で嬉しかったり、腹が立ったりしませんか?
しっかりした方針を打ち出すためには、論理的である
ことが必須と考えます。これは自分にも言い聞かせてい
ます。僕の気分次第で治療がコロコロ変わったらたまった
もんじゃないもんねぇ。(^ ^;)